ノマドの足跡

旅、酒、ニュース、仕事関連などなど。思いつくまま書いたものです。

【高知2010夏】 土佐清水〜足摺岬 (8月28日)

ジョン万次郎というと昔、英語の教科書でその話を読んだ記憶があります。
佐清水の外れにある漁村中濱村の出身で、14歳で漁に出ているときに遭難して伊豆諸島南端の鳥島に流されたといいます。
他の4人の仲間と、その無人島で雨水を飲みアホウドリを捕獲しておよそ5ヶ月間サバイバルしていたところを、スープの材料として珍重されていたウミガメを捕りに上陸してきたアメリカの捕鯨船に救助されます。
その捕鯨船ジョン・ハラウンド号は、当時太平洋の捕鯨基地でもあったハワイに帰還します。
ジョン・ハラウンド号のホイットフィールド船長は、一番年齢も若く、働き者であった万次郎を気に入り、マサチューセッツ州フェアヘイブンの自宅へ同行して教育を受けながらアメリカで生活することを提案します。
いうまでもなく万次郎はアメリカに渡った最初の日本人であるといわれており、一人で行くことには勇気が必要だったでしょう。勇気というよりはむしろ冒険心というべきかもしれません。
そして万次郎は一人、他の4人の仲間と別れてがアメリカ本土に渡ることを決断します。ここで一歩を踏み出した勇気と冒険心が、歴史に名を残すかどうかの違いだったわけです。
のちにこの漁師見習いの少年は、日本に初めてアメリカをそして世界を紹介した人物として、龍馬をはじめ開国と近代化の岐路に立たされた明治維新の中心人物たちに影響を与え、咸臨丸で通訳として再び渡米し、世界を回った後、明治政府に乞われて開成学校のちの東京帝国大学の教授にまで上り詰めます。
ジョン万次郎の銅像が、遙か太平洋を望む足摺岬に建てられています。



佐清水を出た路線バスは、観光バスが通る新しく整備された足摺スカイラインを外れ、漁村の集落を通る細い道をたどっていきます。その中に、万次郎の中浜集落もあります。
これらの集落で生活する人たちにとって、この路線バスは貴重な生活路線です。病院帰りのお年寄りや、部活帰りの高校生が、所々の集落で下車していきます。
漁村の集落はたいてい小さな湾内にあり、そこを通り過ぎると今度は坂道を登って岬の断崖の上を通るという、昇ったり降りたりの複雑に曲がりくねった道が続きます。
複雑に入り組んだ海岸線には、名もない岬がいくつもあり、岬の上を通りかかると写真のような絶景もバスからみられます。



足摺岬に到着。見渡す限りの水平線。この先どこまでも海が続きます。
黒潮が岬にぶつかるところ。海の色が深いです。
このあたりの海岸線にはウミガメが泳いでいるところもしばしばみられるそうです。



宿の近くには、この白井洞門という奇岩もあります。誰もいませんでした。





*中浜博『中浜万次郎―「アメリカ」を初めて伝えた日本人』冨山房インターナショナル、2005

中濱万次郎―「アメリカ」を初めて伝えた日本人

中濱万次郎―「アメリカ」を初めて伝えた日本人