ノマドの足跡

旅、酒、ニュース、仕事関連などなど。思いつくまま書いたものです。

【ホーチミン・シンガポール】 川の流れのように

飛行機が高度を下げてくると、下に大きく蛇行するサイゴン川の流れが見えてきます。
このサイゴン川の恵みを受けて栄えてきたのがかつてのサイゴン、今のホーチミン市です。

川は、作物や人の暮らしに必要な水を供給し、同時に人の営みのなかで排出されるさまざまなものを押し流し、さらには物流の経路ともなっています。

とりわけこのホーチミン市には、サイゴン河畔に大きな埠頭が築かれていて、何基もの巨大なガントレー・クレーンが建ち並び、そこに大型の貨物船が何隻も着岸しいます。
その様は、ここが海から何十キロも離れた川であることを忘れさせるほどです。





そのホーチミンの街中に立つと、なによりもとまどうのが、おびただしい数のバイク(そのほとんどは原付)。
主要幹線を中心に、こちらこそ、まさに、「川の流れのように」道路を埋め尽くし、早朝から深夜まで一時もとぎれることなく流れていきます。


恐るべくは、このバイクの川の流れのなかを、徒歩で横切らないと行けないということ!
両側何車線もある幹線道路でも信号はおろか、横断歩道もほとんどなく、このバイクと自動車(そしてしばしばトラックやトレーラー!)の大河を恐る恐る横切って渡ります。
怖いなんていってられません。
そうしないと、いつまでたっても道路の向こう側には行けないのです。




ただ、川と異なるのは、向こうにも意思があるということ。
向こうもちゃんとこっちをみていて、こちらにあわせて細かく流れを変えてくれるということ。
それがわかってくると、こちらが「意外な」動きさえしなければ、バイクの流れはこちらをよけて流れていってくれます。
つまり、急に止まったり走ったりせずに、流れの来る方をよく見て、ゆっくり歩いていけばいいのです。

いささか大げさかもしれませんが、こうした体験をすると、自分のなかの感覚的なものが甦ってくるような感じがします。
信号をみて、信号が青に変わると横断歩道を渡る。。。そうやって、私たちは日々、信号に歩かせられ、電車で運ばれ、エレベーターで持ち上げられるという生活を送っています。
そうした自分の感覚や体力に頼らない日々の生活のなかで、自分のなかの感覚的な能力が衰えていっているような気がします。
この、無数のバイクと自動車の流れを前に立ち往生して、それでも仕方なく恐る恐るわたっていくと、普段眠っていた自分のなかの感覚的なものが甦ってくるような気がするんですね。
それは、少なくとも僕にとっては気持ちのよいことです。
だからこうやって、アジアを訪れては自分のなかの感覚的なものを取り戻す。
そのためにも、アジアの旅はやめられないものです。





*このシリーズは、2月24日〜3月4日にかけて訪れた、ベトナムホーチミン市シンガポールの旅の記録です。