ノマドの足跡

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【ホーチミン・シンガポール】 サイゴン陥落



たとえば、今の大学生にとって「湾岸戦争」とは、「歴史」の中での出来事です。やがて、「9・11」や「イラク戦争」も同じように「歴史」のなかでの出来事になって行くに違いありません。
同じように、1971年生まれの私にとって、「ベトナム戦争」は、「歴史」のなかでの出来事でした。
しかし、実際にベトナムの地を訪れてみて、それはきわめてリアルなものとして、つまり生活体験として語り継がれており、のみならずその後遺症が、人々のまさに身体そのものを通じて現在に残されていることを目の当たりにします。
しかもそれが、現在の「観光資源」となり、いわば外貨獲得の手段にもなり得ていることに複雑な思いすらさせられます。




ホーチミン市の中心部に位置するレユアン通り。その突き当たりに現在の「統一会堂」すなわち旧南ベトナム政府の大統領官邸の建物があります。
門を入った正面ヤードはとても美しく手入れが行き届いており、建物も1962年から建造されたそれとは思えないほどに、よく保存され維持されています。その美しい芝生のまぶしい中庭に、何台もの戦車が踏み入れ、その近代的な建物に多くの兵士が踏み込んだ当時のことを想像するのが困難なほどです。
この、旧大統領官邸も、現在では主要な「観光資源」となっています。




建物内部には、大統領執務室はもとより、閣議室や会議場、宴会場から
映画館まで、当時のものを残して展示しています。さらに地下には、無線室や非常時の司令室から抜け道となるトンネルなどがあり、これがまさに「戦時中」の建物であったことを彷彿とさせます。



1975年4月30日。「ホーチミン作戦」と銘打った民族解放戦線のサイゴン攻略作戦はついに、サイゴン市内への部隊侵入によって最後の時を迎えます。
ユアン通りに集結した部隊は、正午、戦車隊を先頭にこの大統領官邸に突入。官邸内に残されていたスタッフは屋上からヘリコプターで脱出し、突入からわずか30分後には、建物屋上に解放戦線の旗が翻ったといいます。
今、その建物屋上に立ってみると、足元に広がる美しいヤードから真正面に、現在のレユアン通りが、まっすぐに延びているのがよく見えます。ここを真正面から、しかも正午の時報と同時にこの政権中枢へ突入してきたことを考えると、すでにその時、「戦い」の帰趨は決していたのでしょう。ちなみにこの「レユアン通り」はかつて、「4月30日通り」と呼ばれていたそうです。
現在、そのレユアン通りの中央にある公園では、ある人はベンチに、ある人は芝生に、ある人は座ったり、またある人は寝そべったりしながら、多くの人々が、ゆったりとした時間を過ごしていました。